歓楽街・中洲のビル街に神社が建っていた/中洲國廣稲荷神社

九州一の歓楽街である中洲の街、多くのビルが立ち並ぶエリアに小さな神社が1社鎮座しています。この神社は中洲國廣稲荷神社といって古くから中洲の守り神として信仰を集めています。

ビル街の中の神社

周囲には駐車場や雑居ビルが立ち並んでいる

天神から昭和通りを博多方面に向かって、明治生命ホールの手前から中洲中央通りに曲がると左手のコインパーキングとビジネスビルの間に朱色の鳥居が見えてきます。この鳥居前は山笠の際、中洲流の男衆の集合場所にもなっています。

千本鳥居

稲荷神社らしく鳥居が並んでいる

鳥居を正面から見ると稲荷神社の特徴である連続した朱塗りの鳥居であることがわかります。ビルと駐車場に挟まれた細い路地がそのまま参道になっていて、空きスペースを有効活用して参道を作りだしているようです。

規模の割にかなり寄進者が多い

最初の鳥居を入ってすぐ、参道には鳥居や参道幟が並んでおり、それぞれに寄進者の名前が書かれていました。個人や店舗の名前が多く、國廣神社は中洲の人々に支えられてきたことがわかります。中洲の街を歩いていたら目にするようなお店の名前も多いので探してみるのも面白いかもしれません。

有名店から寄進されたのぼり

この参道幟は中洲の老舗活魚専門店・河太郎から寄贈されたものです。河太郎はイカの活け造り発祥の店と言われています。隣の鳥居は福岡自動車学校からの寄贈です。

由緒書き

入口すぐにある由来書

中洲國廣稲荷神社由来
御神祭
倉稲魂命稲荷大神
江戸後期、天保年間、筑前黒田藩は、藩の財政立て直しの為、中島浜新地(現中島町付近)に歓楽地帯を設置し、芝居や富くじを催した。同時に那珂川寄りの耕地を、騎馬地とし、又、その周囲に桜・藤等を植え、茶屋をつくった。中洲岡新地、現在の中洲町のはじまりである。
中洲岡新地の繁栄にともない、天保五年(一ハ三四年)それまでは小さな社であった中洲稲荷神社が改装されることとなった。立派な神殿や石灯籠が寄進され、樹木に囲まれた境内には、地元有志や芸妓の名を彫った玉垣もでき、名称も中洲國廣稲荷神社と改められた。以来、時代の幾変遷はあったものの、中洲唯一の守り神、商売繁盛の神様として、諸人の崇拝を集め、今日にいたっている。
今後とも、いつまでも変ることなく中洲が益々繁栄することを祈り、幾久しく、中洲國廣稲荷神社の御加護を祈念する次第である。
中洲五丁目町内会世話人一同

最初の鳥居をくぐってすぐ左手に國廣神社の由緒書きがありました。由緒書きによると江戸時代後期、藩の財政策として作られた歓楽街・中洲の鎮守として当時は小さな祠として鎮座していた中洲稲荷神社を中洲國廣稲荷神社として改築したとあります。由緒書きにある、樹木に囲まれた境内や立派な神殿、石灯篭はなくなってしまい、現在は小さな本殿と鳥居を残すのみとなっています。当時はきちんと境内のあるお稲荷様だったようです。

境内

参道というよりはビルの隙間

7基の鳥居をくぐると、いよいよ本殿が見えてきます。

本殿は一段高いところにある

本殿の足元までたどり着くとようやく全体像を確認することができました。本殿は一段高くなっており、省スペースの為か横向きに階段がついています。本殿と倉庫、小さな石灯篭と狛狐、手水舎で構成されたシンプルな境内です。

縦に長い手水舎も省スペース化されている

階段を上がって右手に手水舎があります。本殿と同じデザインの屋根が掛けられていて、手水鉢は比較的新しいものが使われていました。通常この規模の神社は手水鉢のみを設置している場合が多いのですが國廣神社は屋根付きの手水舎が設置されていることから、寄進の多さを感じさせます。

近代化されている

手水鉢には押しボタン式の蛇口がついています。水を貯める必要のないので衛生的。

本堂全景
狛犬ではなく狛狐

狛狐の置かれた本堂は全体を朱色で塗られています。写真ではわかりづらいですが塗装はきれいで比較的最近塗られたように感じました。ちょっと長すぎる鈴緒の付いた鈴を鳴らして参拝します。賽銭箱は無いですが扉には30㎝四方くらいの穴が開いています。

扉には穴が開いていた

本殿の扉に空いている穴から中を覗くとお祭りで使うための椅子や机、山車の一部のようなものが収納されていました。山笠や中洲祭りの際に使うものや、毎年年末に行われる餅つきの道具も入っています。陰になってしまい写真を撮ることはできませんでしたが、この穴の真下にはお賽銭がたくさん落ちていました。賽銭箱のないこの神社ではどうやら参拝客が本殿の扉の穴にお賽銭を投げ込んでいるようです。

小さな社だが空調は完備

本殿に隣接した倉庫の壁に沿うように室外機が2台置いてありました。意外にも本殿と倉庫は冷暖房完備です。

エアポケットとはこのことを言うのか

見上げるととても神社の境内にいるとは思えない光景が広がっています。

道はさらに狭くなる

本殿の脇には幅70㎝程の通路が続いており、那珂川沿いの博多川通りに出ることができます。一番奥に見えているのは博多リバレインです。

そのまま進むとリバレインに出る

細い通路を抜け、那珂川をリバレイン側に渡りました。本殿の後ろ姿は見えるものの、こちら側には鳥居もないので通りかかっただけでは朱色の建物が神社だと気づくことは難しいかもしれません。

國廣神社通り

國廣神社の名前が付いた通り

國廣神社から博多駅側のビルを挟んだところにあるこちらの通りには國廣神社通りという名前がついています。その名前からもともとは國廣神社に面していた通りではないかと考えられますが、現在はビルとマンションの間を走る通りになっています。國廣神社の境内が立派だったころはこの通りにも面していたのかもしれません。

中洲まつり

女性だけが担ぐことができる女みこし

毎年10月に中洲の商工会の主催で中洲まつりが行われます。中洲まつりでは全国でも珍しく女性が神輿を担ぐことから、山笠が男衆の祭りなのに対し、女衆の祭りと呼ばれています。女性のみで担がれる神輿・中洲國廣女みこしは名前の通り國廣神社に属しています。担ぎ手は一般公募も行われており、氏子や中洲関係者以外も応募すれば担ぐことができるので興味がある方は応募してみてはいかがでしょうか。

募集要項や応募書類は下記の中洲まつり公式HPから確認できます
中洲まつりホームページ

中洲國廣稲荷神社

住所:福岡県福岡市博多区中洲5丁目6
TEL:なし
祭神:倉稲魂命稲荷大神
アクセス:地下鉄空港線中洲川端駅から徒歩3分
西鉄バス東中洲停留所から徒歩2分

地図