上人橋通りの名前の由来になった大寺院/長光山香正寺

長光山香正寺は大名と薬院を繋ぐ上人橋通りに伽藍を構える日蓮宗の寺院です。福岡藩二代目藩主・黒田忠之、黒田長政の養女・八代殿御前を祀る菩提寺、そして上人橋通りの由来となったお寺です。

非常に車通りの多い上人橋通り

国体道路を薬院方面に曲がってしばらく行くと広い入り口と大きな山門が見えてきます。飲食店や雑居ビルの並ぶ上人橋通りに改装したばかりのきれいな山門が目立っています。向かいには黒田忠之の母・栄姫を祀る長圓寺があります。

街中に建つ立派な山門

キレイで立派な山門

平成24年に大改装を行った香正寺は、外から見てもわかるほど整備された美しい伽藍を構えています。山門の高さは5mほどで両脚の部分にはそれぞれ持国天と多聞天の像が納められています。

日蓮宗の家紋

門扉に飾られている紋は橘紋の中でも井筒に橘と呼ばれるもので日蓮宗の家紋です。黒田家にゆかりの深い香正寺ですが黒田家の藤紋は取り入れられていないようです。

由緒書にしてはかなり読みやすい

山門手前にある屋根付きの掲示板には香正寺の由緒が書かれていました。

長光山 縁起
宗旨 日蓮宗(総本山・見延山久遠寺)
開山 可観院日延上人(大本山・誕生寺第十八世)
開基 黒田忠之公(黒田藩二代藩主)
発願 長光院殿松月日浄大姉
開創 寛永九年(一六三二年)
~中略~
境内内墓所
黒田直之公(如水公の弟)
長光院殿(黒田家の御姫様)
鶴原雁林(黒田家御典臣)
大隈言道(幕末期の歌人)
長光山縁起書より引用

香正寺は寛永9年(1632年)、日蓮宗の僧侶である可観院日延上人が黒田藩二代目藩主・黒田忠之から9,000坪の寺地を受けて開山しました。寺号である香正寺の由来は現在の宗像にあった禅寺・立国山香正寺から、長光山の山号は香正寺に祀られている黒田長政の養女・八代殿御前の法名「長光院殿松月日浄大姉」から名づけられています。

明るいとすごく映り込む

山門の両柱に納められているのはそれぞれ、持国天王と多聞天王という仏神です。ここに増長天王、広目天王を加え仏神四天王と呼ばれるくらいの高い仏教の神様です。持国天は当方を守護する神と呼ばれており、仏法を守護しています。多聞天は別名の毘沙門天という名前が有名でしょうか。北方を守護する神とされており、武神として崇められています。

山門全体がライトアップされてより厳かな雰囲気

夜間はライトアップもされており、昼間とは違った姿を見せてくれます。境内に入ることはできませんが、迫力のある山門はぜひ見ていただきたいです。季節にも寄りますが20時頃からライトアップされています。

広大な境内

市内の寺でもトップクラスの広さ

山門を入ると広い壇家用の駐車スペースになっていました。写真右側の墓標は檀家の永代供養塔で、過去に香正寺に納められたすべての人を供養しています。

新しくてきれいな本堂。木の匂いがする

山門から入ると正面に見える建物が本堂です。平成24年に耐震工事を行い、外観がとてもきれいになりました。建立された江戸時代の姿を残しつつ美しい寺院建築に仕上がっています。軒を支える柱は江戸時代に建てられたものの上から耐震加工を施しています。

収容人数も多い

本堂内は改装を機に畳張りから総檜の椅子席に変わっています。仏事の際には最大300人を収容する非常に大きな仏堂です。
本尊は十界曼荼羅という、経典を図や梵字などで表した曼荼羅の一種で別名法華曼荼羅と呼ばれています。香正寺の属する日蓮宗において十界曼荼羅は宗祖である日蓮が末法に備えた題目を書き残した文字曼荼羅で仏像や釈迦像と同等のものとして安置されています。

法要スペース。立派なペット霊園でもある

本堂の左側には檀家用の法要スペース・長栄堂が建っています。ペット納骨堂も併設しており、通夜葬儀時の遺族控室としても使用することができます。

直之公の墓。藩主家にしては少々地味

長栄堂の隣にある墓石が黒田藩祖・黒田官兵衛の弟である直之公の墓です。兄である官兵衛と共に戦い、豊臣秀吉の九州平定の折に14000石を受け取って秋月城付きになった人物ですがその墓石はどこか地味です。

それぞれ歴史的に有名な人物の墓石

直之公の墓の横に建つ5基の墓石は開基や開山家を祀っています。中央の一番大きな墓石は開基檀越である初代福岡藩主・黒田長政の養女の長光院殿を祀っているお墓です。長光院殿は有名な戦国大名の毛利元就の孫で戦国の動乱の後、講和条約により黒田家に嫁ぎます。その後も黒田家の一員として反省を助けた長光院殿は香正寺の開基檀越となり、この地に祀られることとなりました。
右から二番目の墓石は開山・日延上人を祀っています。日延上人は養父で熊本藩主であった加藤清正のもとで学徳優秀な僧侶として育ち、江戸で数寺を創立したのち、福岡に入り黒田忠之の厚遇を得て香正寺の開山となり当寺に墓所を構えています。
左から二番目は歴代の住職、一番左はその家族を祀っており、一番右の経塔には本尊である十界曼荼羅の経典の一部が収められています。

歴代黒田家を祀っている

その奥には黒田家を代々祀る墓石も鎮座しています。黒田家の菩提寺は博多区千代にある崇福寺ですが、福岡市内の様々な寺院に累代を祀る墓石が設置されており、多くの寺院に影響力があったことがわかります。

大隈言道の墓。本当に様々な著名人の墓が並んでいる

少し戻って長栄堂の向かいに建っているのは幕末の歌人・大隈言道のお墓です。言道は「古人は師なり。吾にはあらず。吾は天保の民なり。古人にはあらず。みだりに古人を執(しゅう)すれば吾身何八、何兵衛なることを忘る」と主張し、古い慣習や決まりごとにとらわれない新しい歌を詠みました。一日百首を詠んだと言われており、福岡を代表する歌人として知られています。

古民家のような雰囲気の庫裡

さらに戻って、本堂右手にあるのは僧侶の生活する庫裡です。本堂と同時に補強工事が施されましたがこちらは大部分が江戸時代のままの姿を残しています。檀家の方は参拝中の休憩所として自由に出入りできるそうです。庫裡の奥座敷に面した南庭は見事な枯山水できれいに整備されています。

病除けのご利益がある

庫裡の前には手水舎と南無常行菩薩という病除けのご利益のある観音像が鎮座しています。手を清めた後、柄杓の水を観音像にかけることでご利益を得ることができると言われています。

上人橋通りの由来

「じょうにん」ではなく「しょうにん」

香正寺の前を通る道は上人橋通りといわれており、香正寺がその由来とされています。囲碁の名手であった日延上人と黒田藩二代・黒田忠之は囲碁仲間でした。ある雨の日、上人が忠之と対局しようと福岡城に向かったところ、川が氾濫し城に向かうことができませんでした。それを残念に思った忠之はその川に橋を架け、上人の通り道としたそうです。その後上人が城へと向かう道は上人橋通りと呼ばれるようになりました。ちなみに上人の行く手を阻んだ川は現在の国体道路となっています。

広大で清潔な伽藍を構える香正寺には江戸時代初期、福岡藩安定期の歴史を感じることのできる寺院でした。山門の四天王像から長光院殿の墓、大隈言道の墓など文化に寄った史跡を多く見ることができます。上人橋通りを通る際はぜひ立ち寄ってみてください。山門は閉じられますが、ライトアップされた持国天像と多聞天像は一見の価値ありです。

長光山香正寺
宗派:日蓮宗
住所:福岡県福岡市中央区警固1丁目5-32
TEL:092-741-3951
開門時間:7:00~19:00(夏季)
URL:http://koushou-ji.com/
アクセス:西鉄天神駅から徒歩10分
西鉄バス警固一丁目停留所から徒歩5分