江戸時代の姿をそのまま残すお寺/心灮山 大長寺

福岡市中央区のビジネス街・舞鶴の路地を入った飲食店が並ぶ中に西山浄土宗の寺院・心灮山 大長寺が建っています。大長寺は慶長12年(1607年)に那珂郡一ノ瀬村(現在の筑紫郡那珂町市ノ瀬)で黒田官兵衛の弟・黒田利則を開基、長徹和尚を開山として建立されました。当時の名を心光院西岸寺といいます。その後、元和3年(1617年)に現在の舞鶴に移築されています。

官兵衛の父が眠る寺

大長寺は黒田官兵衛の父・美濃守職隆を弔うため、息子である黒田利則によって建てられました。職隆の33回忌を機に移築した後も官兵衛の父母、祖父母の4柱が祀られています。山号である心灮山の由来は職隆の法名である、「心光院殿満譽宗圓居士」から名づけられました。

舞鶴の路地を入ったところに伽藍を構える

舞鶴は明治通り沿いにたくさんのビルが立ち並ぶビジネス街ですが路地を一本入ると古い住宅や飲食店が立ち並んでいます。そんなレトロな道を進んでいくと大長寺の山門が見えます。向かいと両隣にはマンションが建っていました。

お馴染み博多塀

山門両脇の見事な博多塀は豊臣秀吉が九州を平定した際、当時九州を治めていた島津家らとの戦いで焼け落ちた家屋の屋根瓦を再利用して作られたものです。実際に使われていた瓦が塀に埋め込まれています。

江戸時代の名所絵と一致する境内

配置は江戸時代から全く変わっていません

山門をくぐると立派な本堂と左側手前から観音堂、窟観音、お堂が見えます。そして、写真外右手には寺務所が建っています。実はこの伽藍の配置は江戸時代からほとんど変わっていません。

こちらもお馴染み筑前名所図会

こちらは文政4年(1821年)、奥村王蘭という絵師によって描かれた「筑前名所図会」という本に記載されている大長寺の境内の様子です。山門の正面に本堂、右手に寺務所。当時、奥のお堂はありませんでしたが左手手前から観音堂に窟観音と現在と同じ配置であることがわかります。戦後復興期や高度経済成長期の区画整理によって建立当時の姿をそのまま残している寺院は全国的に見ても非常に少なくなっています。

入口は奥まっている

向拝の右手に本堂入口がある構造も当時と同じです。

観音堂も当時のまま

左手手前の観音堂も建物は改修されていますが当時の姿を残しています。この観音堂には千手観音像が安置されていました。千手観音には無病息災、長寿、夫婦円満などのご利益があるとされています。

コチラは岩製の観音堂

その隣には窟観音がありました。窟観音は岩や洞窟を掘ったり組み合わせたりして観音堂に仕上げたものです。こちらの窟観音は岩を組み合わせて作られていました。中には聖観音像が安置されています。聖観音には苦難除去、開運、極楽往生のご利益があるといわれています。

再建を主張してくる地蔵菩薩

窟観音の奥には筑前名所図会にはない地蔵菩薩像と祠があります。地蔵菩薩の台には再建と書かれているので天明3年(1783年)の普請以降に建てられたものではないかと思われます。

本堂は結構地味

本堂は一般的な寺院様の建築ですが軒下に扁額が掛けられていない点が大きな特徴です。最近補修や改修をしたのか、新しい木材の匂いがしていました。

本堂内に扁額がかかっている

本堂内を撮影させていただきました。本堂内に扁額のある珍しい構造をしています。左奥には立派なサイズの木魚。中央の本尊は阿弥陀三尊です。阿弥陀如来を中尊として、左右に観音菩薩と勢至菩薩を配しています。また、阿弥陀如来には死後の安寧をもたらすご利益があるとされています。

職隆公ゆかりの木の化石

コチラは再建時に作られた地蔵堂

本堂左奥にあるお堂には岩のようなもの、墓標、子安観音像とそれぞれ異なる3種類が安置されています。

世にも珍しい木の化石

一番手前の岩のようなものは珪化木と呼ばれる木が化石化したものです。この珪化木は直径約70㎝と巨大なもので、播磨(現兵庫県)にあった美濃守職隆の墓所をこの大長寺に移した際に掘り起こした土の中から出てきたと言われています。

誰のものかわからないお墓

珪化木のとなりは墓標ですが特に何も記載がなく、誰の墓なのかはわかりませんでした。

福岡は子安観音が多い

一番奥は子安観音像と3基の石仏が安置されています。子安観音は安産を叶え、子どもの健康を守るご利益があるとされます。脇の石仏も子どもを抱く姿をしており、同様に安産祈願を意味しています。

寺の裏手は海岸線だった

最近なかなかないタイプの納骨堂
建物の名前が書いてあるが全く読めない

本堂裏には納骨堂と木造の建物が建っていました。木造の平屋は仏事用の施設で職隆公の法要の際に使われる道具などが納められているそうです。

ここから先は海だった

納骨堂の脇を抜けてさらに進むと駐車場に出ました。現在は埋め立てられていますが江戸時代当時はこの辺りが海岸線になっていたようです。

お馴染み博多古図

江戸時代の博多の地図です。当時は半島が複数連なったような地形になっていたようです。大長寺付近も長浜から大きくえぐれるようにして海岸線になっていたと思われます。

江戸時代の姿をそのまま残した大長寺は全国的にも珍しい寺院でした。日本ではほとんど出土することのない、大変貴重な珪化木も一見の価値アリです。毎年9月に職隆公の法要が行われており、その際には保存会によるガイドなども行われるのでそちらも併せて楽しんでいただけると思います。

心灮山 大長寺
住所:福岡県福岡市中央区舞鶴1-3-9
TEL:092-751-2864
宗派:西山浄土宗
アクセス:地下鉄空港線赤坂駅から徒歩6分
西鉄バス舞鶴一丁目停留所より徒歩2分