日本で最初の禅寺/安国山聖福寺

福岡には様々な歴史的建造物がありますが、博多区御供所町には日本最古の禅寺といわれる臨済宗妙心寺派の寺院・安国山聖福寺があります。御供所町は多くのお寺が集まっている寺町ですが聖福寺はその中で最も広大な伽藍を構えています。伽藍内には現在6つの塔頭寺院を配しており、後鳥羽上皇に与えられた扶桑最初禅窟という称号に違わぬ大寺院です。

開山は建久6年(1195年)に源頼朝から用地を受けた日本の禅宗の始祖・栄西禅師が行いました。当初は独立した臨済宗の寺院でしたが、聖福寺を建立した栄西が京都に上り建仁寺を開山したため建仁寺派となります。その後、江戸時代に黒田長政の命により妙心寺派となって現在に至ります。

地区のほとんどが聖福寺

半分以上が聖福寺の敷地

赤い枠が御供所町の範囲、緑色の部分が塔頭寺院を含む聖福寺の範囲です。御供所町の約半分は聖福寺とその塔頭寺院であることがわかります。現在の御供所町は旧町割りの御供所町と上呉服町を合わせた地区なので当時の御供所町はほとんどが聖福寺とその塔頭寺院で占められていたようです。

寺町の中心

どこを歩いていても寺が目に入る

聖福寺は地下鉄祇園駅から徒歩5分、大博通りから辻の堂通りに入り最初の角を右折した寺町通沿いに総門を構えています。この通りは5軒以上のお寺が立ち並ぶ寺町通りになっています。

博多の歴史について書かれた電柱が並んでいる

元寇の後、鎌倉幕府は更なる侵略に備えて、博多に鎮西探題を設置(一二九三)、源頼朝公開基の聖福寺の伽藍配置中心線を基軸線のひとつに、半丁単位で町割りをして鎌倉になぞらえた強固な城郭都市に造り変え、鎌倉、京と並んで日本の三大重要都市に位置づけました。

通りの電柱に鎌倉時代の町割りについて書かれていました。建立当初から現在まで聖福寺が町の中心となっています。

聖福寺の門は通り沿いに二か所あります。それぞれ総門と勅使門と呼ばれ、参拝客は総門と呼ばれるほうから入ります。

身分の高い人専用の入り口

こちらが勅使門です。大きな菊紋からもわかる通り、天皇の関係者を迎えるための門です。鎌倉時代当時、天皇は京都に御所を構えていたため九州で勅使門を構える仏社は珍しく、福岡では聖福寺のみに設置されています。

文字通りすべての人が通る総門

こちらの総門から境内に入ることができます。この総門は名島城にあったものを移築したと言われています。

広大な境内

本当に広い

総門から中に入ると広大な伽藍が広がっていて、ちょっとした森のようにも感じるほどたくさんの樹木に囲まれています。境内には県の保存樹に指定されている巨大な楠が数多くあり、敷地内全てが県の重要史跡に指定されています。

実は観光客向けに作られたっていう説もある

総門から敷地を一部囲むように続いている塀は博多塀と呼ばれるものです。豊臣秀吉が九州を平定した際に島津家との戦いで戦場になった博多は甚大な被害を受けました。九州を平定した秀吉は貿易港として博多の復興を急いだため、焼け落ちた建物の屋根瓦などを建材として利用して博多塀を作ったと言われています。

巨大な石仏

左手に進むと巨大な石仏があります。この石仏は堪忍地蔵といって詳細は不明ですが、一説によると白隠禅師の唱えた子守歌の一節「この世は娑婆とて堪忍国土、忍をなすゆえ人ではないか」に由来するものではないかといわれています。

規模が大きい分寄進者も多い

堪忍地蔵を囲む玉垣には寄進者の名前が刻まれていました。

近づいても全く反応しない

堪忍地蔵から山門へ向かう太鼓橋の手前には猫が集まっていました。餌付けされているのか飼い猫なのか、近づいても逃げることなく写真を撮らせてくれました。

境内にも山門がある

太鼓橋をわたると巨大な山門が見えてきます。他の寺院と違い、境内の中にも山門を構えているのも大寺院である聖福寺の特徴の一つです。網が張られていて見づらいですが後鳥羽上皇から贈られた「扶桑最初禅窟」と書かれた扁額が取り付けられています。

鐘楼も巨大

山門右手には高さ5mを超える鐘楼があります。現在は保存のため取り換えられていますが、昭和51年(1976年)まで国定重要文化財に指定された朝鮮鐘が取り付けられていました。ちなみに新しく取り付けられた梵鐘も県の有形文化財に指定されています。毎年大晦日には一般参拝者が除夜の鐘を撞くことができます。

境内に建物が多すぎる

山門右手には白山社と呼ばれる小さな祠があり、聖福寺の鎮守として祀られています。

境内で一番大きい建物

山門の奥に聖福寺の本殿である仏殿があります。扁額には大雄宝殿と書かれていて、これは釈迦仏を本尊としていることを示しています。中には巨大な仏像が安座しており、一般的に本殿で行われる仏事は敷地奥の方丈と呼ばれる建物で行われます。

金色の大仏が3尊

仏殿の内部を撮影させていただきました。3体の仏像を合わせて三世仏と呼び、左から釈迦尊、弥勒菩薩、阿弥陀仏が祀られています。仏堂は天正17年(1589年)に耳峯玄熊によって中興されましたが、太平洋戦争の戦火により焼失してしまいます。その後、聖福寺創建から800年を迎える平成26年に再建されました。

聖福寺ゆかりの歌人・鹿児島寿蔵の歌碑

六月の残雪深き湯泉岳を
越がてにをれば駒鳥のこゑ

本堂の奥には昭和40年(1965年)に皇居で行われた歌会始で福岡市出身の人形作家でアララギ派の歌人でもある鹿児島寿蔵の詠んだ応制歌を刻んだ歌碑が建てられています。

一般の参拝客は入ることができない

仏殿裏には唐門と中門があり、奥に庫裡や方丈といった建物が建っていますが、一般参拝者は立ち入り禁止とのことでした。
内部の様子は聖福寺のホームページで見ることができます。
安国山聖福寺ホームページ

修行の場

中門から少し左手に進むと禅堂という建物があります。修行僧が禅の修行をするための建物で、事前予約をすることで希望者は座禅の体験をすることができます。

保存樹の数は福岡で2番目に多い

禅堂からさらに進む道には大きな楠が3本あり、すべて県の保存樹に指定されています。

数ある塔頭寺院のうち一つは保育園になっている

さらに進むと聖福寺の塔頭寺院の一つ・廣福庵があります。塔頭寺院ですが現在は保育園になっていました。

広大な伽藍を誇る聖福寺ですが現在の姿は度重なる区画整理で縮小しており、最大時は現在の4倍の敷地面積があったともいわれています。規模が小さくなったとはいえ広い境内には様々な建物や石仏が配置されており、非常に見どころの多い寺院でした。樹木の多い境内は日陰になっている部分も多く、散歩コースとしてもおすすめです。写真に収めた以外にも倍以上の数の猫もおり、人慣れしているので参拝ついでに撮影するのもいいかもしれません。エサはあげないようにだけ気を付けてくださいね。

安国山聖福寺
住所:福岡県福岡市博多区御供所町6-1
TEL:092-291-0775
宗派:臨済宗妙心寺派
HP:http://www.shofukuji.or.jp/index.html
アクセス:地下鉄空港線祇園駅から徒歩5分
西鉄バス緑橋停留所から徒歩3分

地図