菅原道真愛用の鏡を祀る天満宮/鏡天満宮

博多リバレインとホテルオークラに隣接する鏡天満宮には菅原道真の使っていた鏡がご神体として祀られています。この鏡には道真公が都から大宰府へ左遷された際、自らのやつれた姿を映して嘆いたというなんとも微妙な由緒があると言われています。

大型商業施設のすぐそばにある天神様

リバレインの敷地内にある神社

博多リバレインとホテルオークラの敷地内に建っている天神様ですが、この場所に移築されるまでに2度、場所を移しています。造営された時期は不明ですが、始め鏡天満宮は下川端町にあったとされており、造営当時は現在地付近にあったと考えられます。その後、太平洋戦争により壊滅的な被害を受けたため、戦後の復興期には旧福岡銀行本店の裏に仮設されました。その後1999年、博多リバレインが作られると同時に現在の位置に再建されています。

昔はこの辺りまで海だった

渡唐口跡と刻まれた石柱です。地下鉄呉服町駅前にある博多古図によるとこの辺りは海だったようです。当時、遣唐使などの唐へ向かう船がここに発着していました。下部に書かれている冷泉津袖湊は12世紀ごろ平清盛が大陸との貿易のために作ったとされる人口港です。

金色がしっかり残っている

鏡天満宮と書かれた石柱です。再建されてまだ20年ほどなので装飾がきれいに残っています。道真公の紋である梅紋も随所に見ることができます。

由緒書きには事細かに書かれている

鏡天満宮御由緒
御祭神 菅公(菅原道真公)
由緒
当社は鏡天満宮と呼ばれ、延喜元年(九〇一年)讒言によって太宰府の権帥に左遷配所され給いし菅公が、 博多に上陸された第一歩の地に御休息の時、「海路の疲れにおやつれ給ひし御相顔を鏡に映して御覧になった」と伝えられる鏡をお祀りする神社です。
一説には、菅公の供奴をした者とその子孫が菅公を慕い、宅内に神として祀った神社をはじまりとして奴天神(やっこじんじゃ)とも呼ばれています。当時、この辺りは博多の渡唐国といわれ遣唐使が行き交い大陸の文化がさきがけて我が国に上陸したところですが、 現在の社殿の近くには唐から帰った伝教大師(天台宗の開祖最澄)の建立による明王山冷泉寺があったと伝えられています。
また平安時代に入ると平清盛によって袖の湊が築かれ日宋貿易の玄関口として一層の繁栄をきわめ商都博多の礎となったところでもあります。
しかし中世に入るとその富を求めて、群雄が割拠し度々の戦禍に見舞われ、また近くは大東亜戦争によって壊滅的な打撃を博多の町は受けましたが、 人々が鏡天満宮に寄せる信仰は深くその都度再建され、このたびの博多リバレイン建設に際しても、供に浄財を拠出し御縁も深きこの地に新たな社殿を建立するに至っております。

鏡にもなきつみとかは見えやらでやつれすかたのかすむ春かな

境内社 澤姫稲荷神社
御祭神 保食神

神社外周に設置された由緒書きには道真公と鏡天満宮の由縁、神社の歴史が書かれています。最後に添えられた歌は道真公が福岡の地に降り立った際に詠んだものです。

小さな敷地に境内が詰まっている

この規模の神社にしては珍しく手水鉢に水がある

鳥居を入って右手の少し奥まったところに手水鉢があります。塀や生垣で少々見えづらい場所にあるのでご注意ください。

道真公に縁の深い牛

天満宮でおなじみの牛像も建立されています。道真公は牛と縁深く、天満宮と呼ばれる神社には牛の像が多く祀られています。本家太宰府天満宮と同じく、像を撫でると頭がよくなるご利益があるようです。

どう見てもフクロウだが鷽というらしい

フクロウのようにも見えますが鷽(うそ)という鳥の像です。これは総本山である太宰府天満宮の神事・鷽替えに由来しています。鷽という字が学と似ていることから、鷽は道真公の遣いとされています。

実物はかなり色鮮やか

こちらが実物の鷽です。牛がリアルに造形されているにもかかわらず鷽はかなりデフォルメされた姿をしているのは何故でしょうか。

瓦には梅紋

拝殿は敷地の広さの割に立派な印象です。屋根瓦にも梅紋があしらわれていました。境内が狭く、鳥居の中から拝殿全体を写すことができませんでした。

江戸時代の文化らしい

拝殿正面の軒下には千社札がたくさん貼られています。造営当時、同時に完成したリバレイン内のお店のものでしょうか。個人名のものと屋号のものがあります。千社札自体は江戸時代の庶民文化として浸透していましたが現在は貼り付けを禁止している神社も多いので気を付けましょう。鏡天満宮も現在は貼り付けを禁止しています。

これでもかという感じの梅紋

賽銭箱にも大きな梅紋があしらわれています。賽銭箱は拝殿に半分埋まるように設置してありました。装飾的なつくりの問題か、賽銭箱と灯籠の梅紋は加賀梅鉢と呼ばれる形をしています。それに対し、他の場所の梅紋は豊後梅紋という形をとっています。

オシャレ灯籠

境内の軒下につるされている灯籠はどこかモダンでおしゃれな雰囲気です。

澤姫稲荷神社

稲荷神社も併設している

拝殿の左側には末社として澤姫稲荷神社という稲荷神社もありました。千本鳥居(4基)の奥に小さな祠があります。商業施設に商売繁盛・五穀豊穣の神であるお稲荷様が建っているのは心強いですね。

榊が青々としている

小さな祠は一般的な稲荷神社に比べて少々赤が強めでした。祀られているのはお稲荷様としては少々マイナーな保食神(うけもちのかみ)です。保食神は神話の時代、天照大神と共に日本の国土を作ったとされる神様です。

学業成就を願う絵馬がたくさん

本殿と稲荷祠の間に絵馬が奉納されていました。多くは学業成就を願うものでしたが昨今の世界情勢を不安に思う絵馬も数枚混じっていました。鏡天満宮は普段は無人ですが太宰府天満宮の祭事が行われる毎年1月7日に合わせて大祭を行っており、その際に絵馬を奉納することができます。

鏡天満宮新春大祭

例大祭の様子

毎年1月7日に行われる大祭では新春祈願が行われます。氏子や世話人の方々の協力で山笠人形が隣接するホテルオークラのロビーに展示されたり、参拝料1,200円で食事券の当たる福引と神職による新春祈願を受けることができます。境内脇では毎年氏子衆によりぜんざいやおでんがふるまわれています。

御朱印

例大祭でしかいただけない激レア御朱印

鏡天満宮は通常無人ですが新春大祭の日にのみ神職の方がいらっしゃるのでその日のみ御朱印を頂くことができます。年に1度しかチャンスのないある意味とてもレアな御朱印ですので御朱印集めをされているかたはぜひ1月7日に頂きに行ってみてくださいね。

取材を終えて

普段、何気なく通ることの多いリバレイン前の鏡天満宮。入ってみると敷地は狭いものの、鳥居、手水鉢、拝殿、本殿、牛像、鷽像、絵馬掛所に加え末社として稲荷神社も備える立派な天神様でした。先にも述べましたが由来としては道真公が長旅の末、福岡にたどり着き鏡に映ったやつれた自分の姿を嘆いたことです。実は同様の伝説は福岡市内の他の神社にも残っています。天神にある水鏡天満宮は文字通り鏡ではなく水面に映った姿を嘆いた場所とされ同様に道真公を祀っています。福岡にはこういった道真公立ち寄り伝説が多くあり、一時の宿とした場所から有名な飛梅伝説までそのほとんどの地で天満宮が建立され祭神として道真公を祀っています。当然、交通網の発達していなかった平安時代当時、奈良から福岡までの道のりを移動をした為、こうした伝説は福岡だけでなく全国各地に遺されており、天満宮は全国で12,000か所以上存在しています。福岡市内だけでも40か所以上ありますので天神様めぐりをしてみても面白いかもしれませんね。

鏡天満宮
住所:福岡県福岡市博多区下川端町3−1
TEL:092-263-1525
主祭神:菅原道真
アクセス:地下鉄中洲川端駅から徒歩3分
西鉄バス東中須停留所から徒歩2分

地図