ういろう伝来の地は細長いお寺だった/岩城山妙楽寺

博多区御供所町の寺町通りにある臨済宗の寺院・石城山妙楽寺は有名な和菓子「ういろう」伝来の地とされています。また、特徴的な細長い伽藍(お寺の敷地)は江戸時代に再建された時の姿をそのまま残しています。

先の見えない山門

寺町通りの一角に建っている

祇園町の交差点から辻の堂通りに入ってひとつ目の角を左に曲がると、日本最初の禅寺・聖福寺を中心に形成された旧寺町があります。その一番手前に山門を構えているのが石城山妙楽寺です。創建は正和5年(1316年)、臨済宗の僧侶・月堂宗規により建立されました。天正14年(1586年)に戦火によって焼失しましたが後に再建されました。

奥に長い造りの伽藍

大きな松の木と石碑が並ぶ山門からまっすぐ参道が伸びています。このお寺の伽藍は50m足らずの幅に対して160m以上の奥行きがあるので入口からでは本堂や庫裡を見ることができません。

仏教布教の跡

山門脇には2基の石碑が建てられています。左側の縦長の石碑には「無文元選禅師逗留の地」と書かれています。無文元選とは南北朝時代の禅宗の僧侶で、後醍醐天皇の息子でもある人物です。後醍醐天皇の崩御後、仏教を学ぶため中国に渡った無文元選が帰国後、布教のため日本全国を巡拝した際に妙楽寺にも立ち寄ったことが無文元選行状記にも記されています。
右側の小さな石碑は旧地名を記したものです。現在の御供所町は上呉服町と桶屋町を合併しており、石碑の旧御供所町は江戸時代の旧区割りにおける御供所町を示しています。

細長い境内

とにかく細長い

境内の案内図です。御供所町寺町通りから北東に縦長く敷地が伸びており、いくつかの区画に分かれています。一般参拝できるのは山門から伸びる参道をまっすぐ進むルートのみで、案内図にある鐘楼、石仏、庫裡、墓地を見学することができます。

敷地内に違う寺の塔頭寺院がある

山門の左隣には永寿院という小寺院があります。妙楽寺の敷地に食い込むようにして建っていて、妙楽寺の境内図にも記載されていますがこちらは現在福岡県庁の近くにある黒田家の菩提寺・崇福寺の塔頭寺院です。

庫裡と別に開山用の建物が建っている

参道に入って少し進んだ左手にあるこの開山堂(境内図①)は正和5年(1316年)に妙楽寺を創建した開山・月堂宗規を祀っています。また、周囲には海外との密貿易を行ったとされ処刑された博多の豪商・二代目伊藤小左衛門や黒田藩の重臣・黒田監物の墓所があり、開山堂を中心とする境内は別名・望雲庵とも呼ばれています。

御供所町の寺院ではおなじみの博多塀

さらに進むと右手に博多塀と呼ばれる塀の一部が残されています。これは豊臣秀吉が九州平定を行った際に島津家や大友家との戦闘で焼け落ちた建物の瓦や壁を再利用して造られています。九州を平定した豊臣秀吉は鎌倉時代から貿易港として栄えていた博多の復興を急ぎました。その際に資材不足を補うため博多塀が作られたと言われています。妙楽寺も慶長5年(1600年)に筑前(福岡)に入った黒田長政によって再建されました。

妙楽寺の博多塀にはでかい瓦が埋め込まれている

近づくと瓦が埋め込まれていることが確認できます。寺町内では様々なところにこのような博多塀を見ることができます。

ひときわ目立つ鐘楼

博多塀の横には巨大な鐘楼が建っています。こちらも慶長5年の再建時のもので歴史を感じる建造物です。高さは10mにも及び、妙楽寺で一番高い建物になります。

すごい数の地蔵尊

鐘楼の裏には1体の観音像と64体の地蔵が並ぶ地蔵堂があります。この建物、正確には石佛堂といい、中央一番上の観音菩薩像を本尊としています。観音像や石仏は妙楽寺が現在の場所に再建された後に奉納されたものです。並んでいる石仏も一部は廃寺となった寺院からの移設であったりと博多中の行き場をなくした石仏を集めて作られています。

庫裡は比較的新しい建物

さらに奥に進むとようやく庫裡にたどり着くことができました。寺務所と兼用になっているようですが人の気配がなく御朱印を頂くことはできないようです。

普段は一般公開されていない

塀で囲まれている本堂には入ることができませんでした。本堂は毎年秋に行われる博多ライトアップウォークの際に一般公開されています。ライトアップウォークは御供所町の寺院が地元電機店の手によって美しくライトアップされるイベントで、妙楽寺を始め13の寺社が会場となります。

博多ライトアップウォーク公式サイト

博多史において有名な人たちが祀ってある

本堂裏手から外周に沿ってお墓が並んでいます。一般の方のお墓もあるので写真には映せませんでしたがこの先には福岡藩の支藩である直方藩の家老や博多の豪商・神谷宗湛や末次孝善、黒田官兵衛の重臣・黒田二四騎の一人である竹森次貞の墓所があります。

ういろう伝来の地

この妙楽寺にういろうが伝わってきた

庫裡の手前、参道を進んでいくと否が応でも目に入る位置にういろう伝来の地という巨大な石碑が建っています。ういろうはもともとは中国から渡ってきた陳外郎という医師が伝えたものとされています。中国王朝の崩壊により日本に亡命してきた陳外郎は妙楽寺に住み、透頂香(とうちんこう)という胃腸薬を伝えました。透頂香は効果的な薬ではあったものの非常に苦かった為、米粉で作ったお菓子を添えて販売していました。その後、陳外郎の子孫はそのお菓子をういろうとして全国に伝えたと言われています。

ういろうの発祥には諸説あり、確実に妙楽寺であると言い切ることはできませんが、今や日本全国で作られているういろうですが、発祥が身近なエリアにあるお寺だと思うとなんだか親しみが湧くような気がします。博多観光の際はぜひ、ういろう伝来の地である妙楽寺に足を運んでみてくださいね。

石城山妙楽寺
住所:福岡県福岡市博多区御供所町13-6
TEL:092-281-4269
宗派:臨済宗大徳寺派
アクセス:地下鉄空港線祇園駅から徒歩5分
西鉄バス奥の堂停留所から徒歩5分