菅原道真が立ち寄った旧海岸線の地/菅原神社

福岡で最も有名な歴史上の人物といえば菅原道真(か黒田官兵衛)でしょう。どうも福岡は日本の歴史の上で影が薄い気がしてなりません。
と、そんなことは置いておいて福岡唯一の有名人、菅原道真が祀られている神社といえば太宰府天満宮です。
道真公は京都の都から陸路と海路を使って福岡までやってきたといわれています。その際に休憩として立ち寄った場所にはそれぞれ逸話が残されていて、ほとんどすべてが神社として祀られるようになりました。菅原神社や天満宮と呼ばれるその神社は福岡県内だけでも40ヶ所以上存在しています。

福岡市中央区警固には菅原道真が都から太宰府に左遷された際に立ち寄ったとされる場所があります。道真公の死後、その地は菅原神社として祀られることとなりました。こうした逸話は各地に残っており、同様の由来の菅原神社は福岡県内だけで40社以上もあります。

菅原神社と検索しただけでこれだけ表示される

「菅原神社」の検索結果です。福岡市内だけでもかなりの数がありました。

交通網が整っていない平安当時に京都から福岡へと船や馬で移動したことを考えると多くの地に立ち寄ったとされるのも納得できますね。探せばもっと多くの地に道真公が立ち寄ったとされる伝承が残されているかもしれません。

路地裏に伸びる天神様の細道

右奥に鳥居があるのがお分かりいただけるだろうか

地下鉄七隈線薬院大通駅から徒歩10分、菅原神社は住宅街のやや奥まった場所にあります。面している通りは一方通行ではないものの、車一台通るのがやっとといった程度の幅しかありません。近隣住民でもない限りここに神社があることすら知らない人も多いのではないでしょうか。

すぐ横は公園になっている

石造りの鳥居の奥にはまさに通りゃんせの歌に出てくる天神様(道真公)の細道のような参道が伸びていて、石段へと続いています。本殿付近は木が生い茂っていて外から様子をうかがうことはできません。

道真公の大宰府就任記念碑

参道の脇には古い石碑が建っていました。詳しくは読み取れませんが「御大典記念」と書かれているようです。御大典とは律令制における大宰府の主典を意味します。主典とは宮司の中で最下位の役職を指していて、道真公は大宰府に左遷された際に主典の位を任ぜられたことから道真公が大宰府に着任したことを記念して建てられたものだと思われます。

これらについてはよくわからなかった。情報求ム

反対側にも石碑がありましたがこちらは風化が進んでおり、何が刻んであったかを読み取ることはできませんでした。

菅原神社の成り立ち

境内へ続く階段

参道を進んだ先の石段。手すりがついていますが石積み自体はかなり古そうな印象です。平安時代当時からのものでしょうか。

草が生い茂っていて全体が撮れなかった

石段の右手には由緒書きがありました。木に隠れてしまっていてよく見えませんが、内容は以下の通りです。

昔、此の辺りが海の入江であった頃、岸辺の砂浜には、鴫や磯の千鳥が群れ遊んでいたことでありませう。此の砂浜の何処かに管公のお舟が着いたものと思われます。
延喜元年(西暦九〇一年)二月一日、追われるようにして都を旅立たれた管公は、博多の津に上陸され、西の宰府道を太宰府へと向かわれたのであります。その道すがら旅の疲れをお休めになった所が当神社のある辺りと里人達によって語り継がれ俗に「田の中天満宮」とも称され大切にされてきました。
元の社殿は永年の風霜に朽ち、僅に石垣を残すのみでありましたが、再建の気運興るや 多数の奉賛協助を賜り、ここに完成を見たものであります。
時は移り世は替りましても、公の学は燦として四海に輝き、徳は永しえに乾坤を照らすことでありませう。
昭和六十年十月二十六日
菅原神社

ここに書かれている通りであれば当時この辺りは海だったということになります。

酷暑の中手水鉢には水が張っている

由緒書きの向かいには手水鉢と呼ばれる簡素な手洗い場です。少し大きめの石に水を溜めるための穴をあけた簡素なつくりで、神社だけでなく庭園や茶室にも置かれます。この神社では手水舎代わりに使われていたようです。

梅の紋と祠だけが残った境内

これが現在の本殿

階段を上った先には小さな祠がありました。平安時代に建立された元々の本殿は長年の雨風によって朽ちてしまい石垣を残すだけとなっていましたが昭和60年に有志によって祠が再建され、現在の本殿とされています。

梅の紋が入った石柱

登ってすぐ左手には石柱があり、道真公を祀っている証である梅の紋が刻まれていました。小規模でも天神様だということがわかります。

境内には3基の歌碑が並ぶ

石段を登って右手には3つの歌碑がありそれぞれ福岡に所縁のある人物の短歌が刻まれています。

大きな石碑に2首の歌が詠まれている

この2首はそれぞれ福岡出身の歌人で昭和58年に福岡市文学賞短歌部門を受賞した福山善徳、2冊の歌集を出版している深野幸代が詠んだものです。

岩田屋の創業者が詠んだらしい

こちらは福岡の老舗デパート・岩田屋の創業者一族で社長・会長を務めた中牟田喜一郎が詠んだものです。

こっちは元福岡市長とそうそうたる顔ぶれ

一番祠側に建つこちらの碑には進藤一馬という昭和初期の福岡市長が詠んだ歌が刻まれています。

3基の歌碑に4首の歌が刻まれていました。本殿の祠より立派なものが建っているのはどうかと思いますが、高名な歌人であった道真公へ向けて奉納されたということでしょう。

取材を終えて

目立たないながら特徴的な参道や、再建された祠、福岡の著名な人物の詠んだ歌碑など見どころがたくさんありました。なにより、警固付近まで海だったという事実には驚きました。これをきっかけに当時の地理について学ぶこともできたので、これも学問の神である道真公のご利益かもしれません。
住宅街のかなり奥まった位置にありますので参拝に行かれる際は道に迷わないようにお気を付けください。筆者は取材時小一時間迷いました。

菅原神社

住所:福岡市中央区警固2丁目6-15
TEL:なし
アクセス:地下鉄七隈線薬院大通駅より徒歩10分
西鉄バス筑紫女学園前停留所より徒歩5分

地図