大空襲の犠牲者を慰霊する神社/下洲崎恵比寿神社

対馬小路の博多中学校から昭和通りに少し進んだ小道に小さな恵比寿神社があります。

名前ははっきりと定まっておらず、鎮座している場所から便宜上、下洲崎恵比寿神社と呼ばれています。下洲崎は現在の須崎町の一部の旧地名で、現在の須崎町は上洲崎町、下洲崎町、上鰯町、下鰯町が合併してできています。鳥居はなく、鉄柵が設置してありました。鍵は掛かっていないので中に入って参拝することができます。

下洲崎町の人々の霊を祭る戦災地蔵

福岡各所に戦災地蔵があることからも空襲の凄惨さがうかがえる

門から入るとすぐ左手に地蔵菩薩が鎮座しています。この地蔵菩薩は戦災地蔵といい、福岡大空襲の犠牲者を供養する為に建てられました。戦災地蔵は市内各地に建てられていて、須崎町だけでも黒田稲荷神社、沖濱稲荷神社と3尊が建立されています。

石でもなくプラでもなく木製の由来書は珍しい

戦災地蔵の後ろに由来書がありました。

戦災地蔵菩薩由来
昭和十二年支那事変勃発により、同二十年八月十五日御聖断により終戦となる
その間当町出身の戦死者の霊十九柱又同二十年六月十九日の大空襲により全市一瞬にして廃墟となる
園火災の中に最後迄郷土を守り痛ましくも戦災死された町内の方々五十九人の霊を慰むるために昭和二十六年五月町の聖地に地蔵菩薩像を建立し国家郷土のため犠牲となられし尊い御霊のご冥福を永遠に祈念申し上げるとともに後世平和への誓いを新たにする象徴とし信仰の誠を捧ぐる次第であります
昭和四十年六月十九日
殉難ニ十周年
下洲崎町

こちらの戦災地蔵は戦争で亡くなった下洲崎町の方々の慰霊として建てられているようです。毎年6月19日と8月24日には例祭も行われています。

山笠の拠点となる町民の聖地

山笠に使われるお汐井台

戦災地蔵の右手にはお汐井台があります。この恵比寿神社は山笠七流の一つ、大黒流の拠点の一つとなる神社であり、山笠期間中はお汐井台の上に箱崎浜の砂が置かれます。山笠の期間中に訪れると曳き手たちが練習する姿を見ることができます。
左側には錆びた井戸のポンプが置かれています。現在は使用されていませんが過去には井戸があった記録も残っており、戦災地蔵の由来書にあった聖地は水場に由来しているのかもしれません。

波状の模様が見事な手水鉢

お汐井台の先、本殿の手前には自然岩の手水鉢が置かれています。模様の美しい見事な岩で劣化もあまり見られません。柄杓は柄が半分ほどに折れてしまっていました。

少々小ぶりな狛犬

本殿前には二体の狛犬が鎮座しています。下洲崎恵比寿神社の狛犬は目と歯の部分に金の塗装が残っている非常に貴重なものです。建立時期は不明ですが塗装が残っている狛犬はめったに見ることができないので一見の価値は十分にあると思います。狛犬は塗装をされない場合も多いのでこの神社が氏子にとって重要な場所であった証でもあります。

年季の入った本殿だが恐らく戦後に建てられている

拝殿は無く、本殿のみが建立されています。御祭神は事代主神(通称恵比寿神)で大漁、商売繁盛などのご利益があります。賽銭箱などはなく、神職の方は常駐していないようです。

祭電にはクーラーボックスが置かれている

本殿の中には山笠の際に使用すると思われる道具と祭壇が設けられています。正面の扉の中には鯨やイルカなど海洋生物の骨がご神体として納められていると考えられています。

すぐ後方には浄土宗の寺院である多福寺と同寺が運営する多福寺ナーランダ保育園がありますが関連性は不明です。境内に鎮座する戦災地蔵は今でも戦災死された方々の遺族が管理されているそうです。戦争の悲惨さを現在に伝える戦災地蔵と人々から聖地とされた下洲崎恵比寿神社、近くに来られた際はぜひ立ち寄ってみてください。山笠期間は間近で曳き手たちの姿を見ることができるのでおすすめです。

下洲崎恵比寿神社
住所:福岡県福岡市博多区須崎町13
祭神:事代主神(恵比寿神)
アクセス:地下鉄中洲川端駅から徒歩8分
西鉄バス対馬小路停留所から徒歩3分