少林寺は福岡市中央区の繁華街・親不孝通りにある、浄土宗の寺院です。
ここには、福岡藩4代目藩主になるはずだった人物が祀られています。
大涼山少林寺は、慶長9年(1605年)に福岡藩初代藩主・黒田長政を開基(建立の際の出資者)、浄土宗の僧侶・長誉恵順を開山(設立時の住職)として建立されました。
建立時は永長山昌林寺という名前でしたが、寛永12年(1635年)に長政の継室(後妻)である栄姫がなくなり、菩提寺として遺髪を埋葬した際に栄姫の法名・大涼院に因んで現在の大涼山少林寺へと改称されました。
少林寺には栄姫の他に長政の次女・徳姫、そして3代目藩主・黒田光之の長男・綱之が祀られています。
この綱之こそ、藩主の家に長男として生まれながら藩主になることもできず最後には毒殺されてしまった人物なのです。
黒田綱之
黒田綱之は3代目藩主・光之の嫡男として生まれ、一度は家督を継ぎました。しかし突然、光之より廃嫡を言い渡され剃髪の上、現在の福岡市南区にある屋敷に幽閉されてしまいます。廃嫡の理由は不明とされていますが、綱之の酒癖や素行の悪さが江戸にまで伝わっていた為、光之が幕府との関係を危惧したという説や綱之が討幕を画策していたという説もあります。
綱之は30年以上にわたり幽閉されたのち光之の死後、4代目藩主となった弟・綱政によって赦されようやく解放されます。しかし、その翌年何者かによって毒殺されてしまい、人生の半分を幽閉されたまま過ごした綱之は54歳の生涯を終えました。
大名家に生まれながら悲惨な人生を送った綱之は死の間際、「自分の願いは叶えられなかったが、私の墓に真心を込めて祈るならば、願い事を叶えてやる」と言い残し没しました。その結果、人々が綱之の墓石を削り取り、舐めたり煎じたりしたため三基の墓のうち綱之の墓のみ1/4程の大きさになっています。ちなみに綱之は晩年出家しており、真言宗の僧侶になっていますが墓の建つ少林寺は浄土宗の寺院です。
現在は建て替えや増築によって黒田家の墓標は一般の参拝者が入ることのできない位置に置かれていますが、裏手の駐車場から栄姫の墓標である五輪塔を見ることができます。手前の車と比べてもかなりの大きさであることがわかります。
月形洗蔵
少林寺にはもう一人、歴史の表舞台には出てこないものの幕末に重要な役割を果たした人物が埋葬されています。
こちらは少林寺の正門から入ってすぐ左側にある墓標で、左から月形洗蔵、洗蔵の祖父・月形質、父・月形深蔵がそれぞれ祀られています。月形洗蔵は幕末、討幕派の志士として活動した人物で大政奉還の切っ掛けとなった薩長同盟の影の立役者と呼ばれています。
万延元年(1860年)、洗蔵は桜田門外の変をきっかけに参勤交代の中止を提案するなど当時幕府側に立っていた福岡藩に尊王攘夷・改革路線への転換を迫りました。しかしその結果、幕政を混乱させたとして御笠郡古賀村(現福岡県筑紫野市古賀)に幽閉されてしまいます。3年後、福岡藩が討幕派へと路線変更をした際に解放された後は西郷隆盛や高杉晋作、そして坂本龍馬などの歴史に残る人物に働きかけ、薩長同盟の草案を起案しました。
ところが慶応元年(1865年)、第2次長州征討の開始とともに、福岡藩論は一変。再び幕府側へと転身した福岡藩によって行われた尊王攘夷派の弾圧事件・乙丑の変により慶応元年(1865年)10月23日に枡木屋(福岡市中央区唐人町)の刑場で洗蔵は斬首されました。幕末の著名な人物の陰に隠れがちな月形洗蔵ですが、日本が近代国家へと向かうに際して非常に大きな役割を果たしました。少林寺にお越しの際はぜひ、彼の墓標にも注目してみてください。
境内の様子
次に少林寺の境内の様子をご紹介します。
正門をくぐるときれいに整備された境内が見えます。建立時には3000坪の敷地面積がありましたが、市街地の中心部でもある親不孝通りに位置しているため、区画整理で敷地を減らされています。
先ほどご紹介した月形家の墓標の奥に地蔵堂があります。
さまざまな形をしたお地蔵様が建ててありますが半数を占めるのは子どもを抱いた子安地蔵です。こちらのお地蔵様には安産のご利益があるとされています。
左手には少林寺の檀家を祀る立派な五輪塔が建てられていました。
その横には2つの銅像と2つの石仏が並んでいます。
こちらの逆立ちしている狛犬は文字通り逆さ狛犬と呼ばれるもので明治初期から昭和にかけて多く作られました。少林寺は戦前の火災と戦時中の福岡大空襲でそのほとんどを焼失しており、この狛犬は戦後復興の時期に寄贈されたものと考えられます。ちなみに逆さ狛犬には恋愛成就のご利益があるとされています。
石仏2体はそれぞれ通常の石仏と子安地蔵でした。どうやら少林寺は安産祈願のお寺になっているようです。
こちらのスライムのような形をした彫像は仏花であるハスのつぼみを模ったものです。
一番奥には重厚なつくりの和様建築の本堂が鎮座しています。正面には大涼山と書かれた巨大な扁額が掲げられています。
屋根瓦には家紋ではなく少林寺の文字が描かれていました。寺院の瓦は一般的に家紋が用いられている場合が多いので非常に珍しい造りとなっています。
建物の隙間からも栄姫の五輪塔を見ることができました。
境内の中は非常にきれいで静かですが、見上げるとたくさんのビルが立ち並んでおり都心にあることを実感できます。両隣にはビジネスビルが建っており、向かいにはクラブもあるなど少し異質な感じもありますが、少林寺はこの場所に400年以上建っているんですね。
取材を終えて
少林寺を取材して感じたのはまず都心部にありながら非常に上品なたたずまいの寺院であるということです。一歩外に出るとにぎやかな繁華街なのですが、境内は別世界のように静かで穏やかな空間でした。
黒田綱之や月形洗蔵といった悲惨な末路を迎えた人物が祀られていたにもかかわらず境内の石仏などは安産祈願のものが非常に多いのも印象的でした。どのような経緯で現在のような子安地蔵の並び立つ寺院になったかは不明ですが、明確なご利益があるということで一般の方でも参拝しやすい寺院であるとも言えます。もちろん、それだけではなく歴史の教科書には決して載らないものの、数奇な人生を送った人物が祀られている少林寺を一度訪れてみてはいかがでしょうか。
大涼山少林寺
住所:福岡市中央区天神3丁目6-14
TEL:092-741-8563
宗派:浄土宗
アクセス:地下鉄空港線天神駅から徒歩5分
西鉄バス天神北降車場から徒歩4分