潮音山海元寺は浄土宗のお寺で旧博多市街の入口である石堂口のすぐそばに鎮座しています。創建は応永3年(1396)で浄土宗の僧侶・大蓮社岌山徳公上人を開山としています。
もともとは松原小崎(現在の博多区千代)付近に鎮座していましたが、慶長5年(1600年)頃、福岡初代藩主・黒田長政公が福岡へ入る際に石堂口の関所を守る防衛拠点として使用するため、現在の位置に移設されました。近辺には同様の理由で移設されてきた寺院が数多く建っています。
観音堂と閻魔堂
敷地内に入ってすぐ右手に2つ連なったお堂が建っています。それぞれ観音堂と閻魔堂といい、文字通り観音菩薩と閻魔大王を祀っています。2つのお堂はもともと別の建物で、観音堂が寛永元年(1624年)、閻魔堂が延宝8年(1680年)にそれぞれ建立されました。その後、平成28年の改築により新たに1つのお堂として新築されました。
観音堂の中には西国三十三所観世音菩薩が壁面いっぱいに鎮座しています。西国三十三所とは日本で最初に成立したといわれる巡業で、お遍路と同様に近畿地方の寺院三十三か所を巡ることをいいます。当然ですが交通手段が徒歩や馬しかない江戸時代に四国八十八ヶ所以上に広範囲の西国三十三か所を巡ることは非常に困難でした。
そこで、三十三所すべての観音菩薩像を一か所に集めてまとめて参拝しようと作られたのが海元寺の西国三十三所観世音菩薩です。ここにある33体の観音菩薩像はそれぞれ三十三所の寺院にある像を模写して作られています。
閻魔堂内部には閻魔像やその部下である牛頭、馬頭、奪衣婆などの像が安置されています。一般的に閻魔大王は死んだ罪人に判決を下す存在として知られていますが仏教においての閻魔大王は観音菩薩の一面であり同一の存在とされているため観音菩薩と同様に祀っている寺院も多くあります。この閻魔像は江戸時代、福岡藩3代目藩主・黒田光之の槍持ちだった源七という武士がが京都のとある辻堂から首のみを持ち帰り、安置したものだといわれています。
こんにゃくが奉納してある
閻魔堂の祭壇にはたくさんのこんにゃくが奉納してあります。これは閻魔大王への供え物ではなく、手前に鎮座する奪衣婆に供えたものです。
奪衣婆は三途の川のそばにいる老婆で、三途の川を渡る為に必要な渡し料六文を持たない死者の身ぐるみを剥いでしまいます。しかし、奪衣婆は江戸時代末期に民間信仰の対象となり、子どもの病気、特に江戸時代に流行した百日咳に効き目があるとされました。衣服を取っていく奪衣婆に「灰汁」を固めて作ったこんにゃくを供えることで自らの「悪(病気)」も取ってもらうというのがこんにゃく奉納の始まりだと言われています。毎年1月16日、8月16日に行われるゑんま祭では多くの参拝客がこんにゃくの奉納に訪れます。
※ゑんま祭期間以外のこんにゃくの奉納はご遠慮ください
子育て地蔵と鎌倉時代の阿弥陀如来像を納めた本堂
閻魔堂を出て奥へ進むと1基の地蔵が鎮座しています。これは山田子育て地蔵尊、通称山田のお地蔵さんと呼ばれている地蔵で子育て全般にご利益があると言われています。
敷地の角に立っているのが本堂兼納骨堂兼寺務所です。京都府八幡市の正法寺より謙り受けた阿弥陀如来像を本尊として安置しています。この阿弥陀如来像は鎌倉時代の作といわれる貴重なものです。檀家以外の立ち入りはご遠慮くださいとのことでしたが寺務所でお願いすれば御朱印を頂くことができます。
閻魔みくじを引いてみた
最後になりますが実は閻魔堂には閻魔像の向かいにガチャガチャの機械に入った閻魔みくじが設置してあります。お値段は1回300円。少々お高めですが回してみましょう。閻魔様に活を入れてもらえるそうです。
出てきたカプセルがこちら。特に説明書きのようなものも入っておらず、閻魔様の人形が1つ入っています。
おみくじはどこに入っているのでしょうか。早速開けてみます。
中には閻魔大王を模した人形が入っています。可愛らしい2頭身体型ですが顔が微妙にデフォルメしきれていません。高さは5㎝程のプラスチック製で見た目よりもずっしりとした重みがあります。赤ら顔や表情は同じですが服のカラーバリエーションは多く、全6種類あるようです。
裏側を見ると本体が筒状にくり抜かれていて、中におみくじが入っていました。
おみくじには閻魔大王のシルエットが印刷されています。おみくじの筐体はかなりおどろおどろしいデザインで、「閻魔様の活!」と銘打たれていましたが、内容はかなりポジティブ。しっかりアドバイスも頂くことができました。
潮音山海元寺
住所:福岡県福岡市博多区中呉服町10-5
TEL:092-291-4520
宗派:浄土宗
本尊:阿弥陀如来像
御朱印:有
アクセス:地下鉄貝塚線呉服町駅より徒歩5分
西鉄バス蓮池停留所より徒歩2分