小烏神社はその名の通り烏を祭神として祀っています。祀られている八咫烏は古代史の時代、日本列島を統一して大和国を建国した初代天皇・神武天皇を都である大和(現奈良県)へと導く重要役割を果たしたと言われています。
小烏神社に行こう
小烏神社は福岡市中央区警固、筑紫女学園のすぐ近くにあります。城南線から細い小道を進むと住宅街の中に鳥居が見えてきます。
地下鉄薬院大通駅と桜坂駅のちょうど中間にありどちらの駅からも歩いて10分ほどでしょうか。
石造りの鳥居に小烏神社の文字が。神額の文字がはっきり読める鳥居は意外と珍しいです。奥には石段があり、境内は1段高くなった位置にあります。
参道には何も乗っていない台座と倒れた石柱や灯籠が並んでいました。2005年に起こった福岡西方沖地震では神社や寺院が大きな被害を受けましたがここにもその爪痕が見て取れます。
石段の手前には由緒書きがありました。創建の時代はわかっていませんが呉服町にある博多古図には「小烏大明神」として表記があるので少なくとも鎌倉時代には存在していたようです。
このあたりがまだ半島だった江戸時代には小烏神社は存在していたようです。由緒書きには明治5年に村社に指定されたとあり、薬院村の氏神として祀られたほか、古小烏町という地名にもなっていて古くから信仰を集めていたことがわかります。江戸時代に一度警固神社と合祀されてしまいましたが後に分離され現在の位置に戻りました。
石段をのぼってもう一つ鳥居をくぐると境内に入ることができます。
舞台のような拝殿
境内に入るとすぐ右手に社務所があり、祭神である八咫烏についての説明書きが掲示してあります。
社務所の奥にある手水舎は屋根付きの立派なものでした。見えづらいかもしれませんが真っ白な手ぬぐいが掛けられていました。毎日交換されているようです。
さらに1段上がったところに拝殿と本殿、末社があります。灯籠の前にあるなにも乗っていない台座はお汐井採りに使われるお汐井台です。
拝殿には本殿からの階段が伸びており、床は板張りでした。広めのスペースはどこか舞台のような印象を受けます。実際に拝殿で神楽や田楽を奉納していた神社もあるので、この小烏神社でも芸事が行われていたのかもしれません。
拝殿の梁には馬に乗った武士の絵が飾られていました。寄贈されたのは昭和63年と書かれています。右側に書いてある「石村貞雄」はこの絵の作者でしょうか。少し調べてみると石村貞雄氏は昭和50年に第52代福岡市議会議長を務めた人物でした。作者とは断定できませんが議会引退後、この絵を描いて寄贈したのでしょうか。
拝殿脇からさらに道が伸びており、この先には2つの末社があります。末社とは神社の敷地内やその周辺に個別の祠を構えて祀られている神々のことで、小烏神社の末社は商売の神・稲荷神社と菅原道真を祀る天満宮です。
こちらが菅原道真を祀った天満宮。福岡には本当に天満宮が多く、菅原道真を祀るところは福岡市だけでも大小合わせて40社以上存在しています。もちろん、学問のご利益がありますので小烏神社参拝ついでにぜひお立ち寄りください。
敷地内一番奥にある朱色が鮮やかな祠が白波稲荷大明神です。小さな祠ですがれっきとした京都の伏見稲荷の分社で、商売繁盛、五穀豊穣のご利益があります。
ご利益
小烏神社のご利益は
・開運
・厄除け
・家内安全
・商売繁盛
・子の成長
・交通安全
と多岐にわたります。開運や厄除け、交通安全などは神武東征のエピソードからなんとなく想像できますが、商売繁盛や子の成長といったものは少し意外です。しかし、ご利益というものはその時々に人々が必要としたものを神社に願ったことが発祥とされているので、たくさんのご利益があるということはそれだけ多くの信仰を集めているということを示しています。
御朱印
過去に合祀されていた関係か、小烏神社の御朱印は普段警固神社で頂くことができます。例大祭や正月のみ小烏神社でも頂くことができるようです。警固神社で頂いた際はぜひ、小烏神社にも参拝してみてくださいね。
取材を終えて
住宅街の中にひっそりと建っていて社格も神社ながら、非常にきれいに整備されている印象でした。寄進も多く、地域の人々に親しまれている神社のようです。八咫烏は導きの鳥とされているので、これから新しいことを始めるという人におすすめの神社です。境内裏手には公園もあり散歩にもぴったりなので、気軽にお出かけしてみてはいかがでしょうか。
小烏神社
住所:福岡市中央区警固3丁目11-56
TEL:なし
主祭神:八咫烏(建角身神)